MIKU MIKU

夫婦だけで好き勝手気ままな商品を皆に見に来て欲しいとの願いから、夫婦2人だけでつくる家族3人のHANDMADE雑貨店 mikumiku の店主 原田孝一です。

私の自己紹介に変えて少し今までの「生きざま」をお話しさせてもらいます。私は現在47歳。ものごころついた時から考えることより、身体を動かすことが大好きなやんちゃ坊主でした。

そんな私が15歳の時今でも忘れない経験をしました。それは小学生の頃からめー一杯やってきた野球を通じての高校進学でした。幸いに私は「野球の名門校」から誘いを受けていたのですが、選んだのは地元の高校の「野球」というよりは「体育科」でした。

この選択がいまでも心に残ってしまっています。楽しい高校生活なのに何故か満たさせないのも・・・自分は野球から逃げたのではないかとの思い・・その想いはその後の人生での大きな判断基準となっていったのです。

「プロ野球」への夢もたたれ、安定したサラリーマン生活に満足感を得ていた25歳の時、尊敬していたおじさんが亡くなりました。50歳でした。その人は単身沖縄に移り住み、家を自分で建て、船も自分で造り漁師をしていました。 私はそんなおじさんに強い憧れをもっており、その死はものすごい衝撃をもたらしました。

そして自我に目覚め、安定は物足りなさに変わり、プロを目指した野球が平凡な野球で終わってしまったことを強く思い出し、真剣に自分の将来像を考えました。

そして28歳の時、今しか出来ないことを今精一杯やり遂げることを自分の誓いとし、サラリーマンを辞め、絵描きになることを決めました。

下積み、不遇の時代も長く、家族、友人と多くの人々に心配をかけましたが、野球で培った勝ち気な性格が物をいい、飛び込み営業を繰り返した末、7年目にして大きなチャンスが巡って来ました。

絵描き兼デザイナーとして会社をおこし、業績も順調、業務に邁進する日々が続きました。

そんな時、終わりは突然にやってきたのです。 やりすぎか・・・ストレスか・・・不明ではありましたが、眼に障害がでてしまいました。これはデザイナー人生を大きく左右することでもあり、長期の療養が必要となってしまいました。

ただこの療養時間が私の気持ちを再び整理してくれたのです。

今自分には何が必要で、何を望むのか・・このことが明確となりました。

自分独自の商品をつくり、家族と仲良く時間を送り、将来は大好きなハワイでお店を持ち暮らしたい。 欲張りな願いではありますが、20年の作家生活からか、何も怖いものなどありませんでした。 ただただサラリーマンを辞める時に自分に誓ったこと、「今しか出来ないことを、今精一杯やり遂げる」ことを実現するだけでした。

夢を実現させるため、会社を解散し、「夫婦2人でつくる家族3人」のお店 mikumikuを開店させました。

開店させて3年目にはいりましたが、夢への実現はまだまだ遠い先ではあります。しかし、47歳のオジサンは今日も制作に子育てを楽しみながら時を送っています。

追伸、もう少しおつきあいください・・・店名のmikumikuの由来を紹介します。
うちには6歳の一人娘がいます。 名前は水に空と書いて水空(みく)といいます。
ハワイでは「空は限りなく高く、水は限りなく青い」という言葉があり、そこからいただきました。

みくは数字で表現すると39、英字ではThank Youとも表現できます。

娘への「ありがとう」の感謝をこめ、店名をmikumikuとしました。